十三回忌

hideちゃんの十三回忌法要に出席するため、
築地本願寺に行ってきました。
hideちゃんは僕より年長なので、
ご本人に対面して話した時には“hideさん”と呼んでいましたが、
周りの友人、知人に彼のことを話す時には
敬愛をこめて“hideちゃん”と呼ばせてもらっていて、
彼のパーソナリティにフィットしてるように思うので、
ここでは“hideちゃん”で統一させてもらいたいと思います。


hideちゃんとの出会いは、20年前。
Xが主宰するレーベル、Extasy Recordsからアルバムを出していた
VIRUSというバンドに、僕が参加していた頃でした。
経緯を書くと長くなりますが、
当時僕はバンドをやりつつ、音楽雑誌のFool' Mateで
編集の仕事をしていました。
Fool' Mateは、後にYBO2等のバンドで音楽活動を始めた
北村昌士氏が中心となって77年に創刊され、
初期はプログレッシヴ・ロックを中心に採り上げ、
その後、70年代末から台頭しはじめた
英米ポスト・パンク、ニュー・ウェイヴ・バンドの記事も
徐々に載せるようになりました。
僕はその頃は読者として同誌を読んでいましたが、
80年代初頭からは
日本国内の先鋭的なアンダーグラウンド・シーンのバンドも
積極的に採り上げるようになりました。
僕は当時、町田町蔵&人民オリンピックショウで一緒だった
ドラマーの箕輪さん(当時、ILL BONEにも在籍)を通じて
北村さんと知己を得て、
僕がGASTUNKBAKIちゃんらとやっていたJOYというバンドのEPを
Fool's Mateの傘下のような形だったレーベル、
TRANS RECORDSから出してもらったり、
北村さんと箕輪さんの三人で
CANIS LUPUSというバンドをやったりしていました。

そんな縁があり、成り行きでFool's Mateで働くことになったのですが、
ちょうどその頃から、Xを中心とする“ヴィジュアル系”と呼ばれる
バンド群が精力的に活動を始め、
Fool's Mateはいち早く、その動向を記事にするようになりました。
一口に“ヴィジュアル系“といっても、
派手な髪型やメイクに共通するところはあっても、
音的にはヘヴィ・メタルハード・ロック寄りだったり、
ダークなニューウェイヴ色が感じられたバンドだったりと、
サウンドの傾向は様々でした。
そんな中でもVIRUSは、スレイヤー直系のスラッシィなサウンドを軸に、
当時流行り始めたミクスチャー的アプローチも採り入れたり、
エスニックなメロディや所謂ノイズ音楽的な手法までも滲み出た
異色な存在でした。
彼らがメンバーチェンジのため
ギタリストを捜しているという話を耳にし、僕は興味を持ちました。
スラッシュ独自のプログレ経由の屈折したリフや
変則的な曲展開も面白かったし、
ミクスチャー的アプローチをやっていたバンドは、
まだ他にあまりいなかったということも新鮮でした。
また、彼らがポスト・パンク、ニューウェイヴ的な
ダークなサウンドへの方向転換も模索しているという話も聞き、
ギタリストとして応募し、参加することとなりました。
ただし、バンドの休止期間を短くするため、
新曲を増やすのではなく、既存の曲をレパートリーとして
ライヴ活動を始めるという方針となりました。
ところが、僕はスラッシュ・メタル的なギターに関しては
素人同然だったので、演奏的に非常に苦労し、
案の定、周囲の僕に対しての評価も最悪でした。
サウンドの指向性のコンセンサスが曖昧なまま
活動をスタートさせてしまったという甘さもありましたが、
僕のスキル不足で、他のメンバーや昔からのファンには
申し訳ないことをしたなぁ…という思いもあります。
結局、僕が参加した正式な作品のレコーディングは行いませんでしたが、
雑誌のロッキンfの付録ソノシート用として
既発表曲のリメイクをレコーディングしました。
僕はソノシートは手元に持ってないんですが、
ニコニコ動画に音声をアッブしてくれた方がいて、
視聴可能な環境の方は↓のリンク先で音が聴けます。

VIRUSに多大なアドバイスをくれたのが
XのYOSHIKI氏とHIDEちゃんでした。
ことにXのサウンド面で新しさを担う役割だったHIDEちゃんは
パンクやニューウェイヴにも造詣があり、
僕がいた頃のVIRUSがやろうとしていたことを
面白がって応援してくれていたようでした。
しかし、結果的には僕が加入しての方向転換は失敗し、
僕はクビになるような形でバンドを離れました。
VIRUSはその後、hideちゃんのSpread Beaverに参加した
media youthのKIYOSHI氏や、DRAGON ASHに参加したIKUZONE氏、
そして僕と同時期に加入し、
近年では布袋寅泰吉井和哉のバンドでプレイしていた
ドラムの愁くんなど、
後に名を揚げたメンバーが入ったりしましたが、
VIRUS本体は満足が得られるような結果とはならなかったようです。
(ちなみに、僕がいた時期のオリジナル・ベーシストの
 NOBORUくんはVIRUS脱退後、ASYLUMや北村昌士
 DIFFERANCEなどに参加しました)。


僕の懐古話が大半になってしまいましたが、
hideちゃんとは、その後も転職先のPLAYER誌で
インタビューさせていただくなど、
断続的にお付き合いをさせていただきました。


掲載している画像の最新号のPlayer誌は、
僕が94年にインタビューした記事を再構成して掲載し、
彼の遺品のギターの解説原稿を新たにプラスした特集が組まれており、
一般書店に並ぶものはAC/DCが表紙ですが、
十三回忌に捧げる特別版として限定発売されるとのことです。
通常版も記事は同じですので、よかったら書店で見てみてください。


法要は築地本願寺の荘厳な本堂に電飾や映像スクリーンなどが設置され、
それが不思議に違和感なく調和していました。
遺影の両脇には、hideちゃんの愛用した2本のギターが。
hideちゃんが“おぉ〜、派手でいいじゃん!”と喜びそうかなと感じました。
献花に訪れたファンの列は、朝の10時から、
僕が本願寺を後にした13時頃まででも途切れることなく続いていました。
ロックミュージシャンの法要に、これだけの人が参列したという例は
僕は他には知りません。
hideちゃんの影響力の大きさと人柄が偲ばれました。


ポップさとマニアックな嗜好のバランスのよさが感じられたhideちゃんの音には、
世代が一緒と言うこともあって身近なものを感じており、
憚りながらもシンパシーを抱いていました。
今回は色々なことを振り返る機会だったし、
色んな思い出を残してくれたhideちゃんに
素直に感謝したい気持ちです。


今日は清志郎さん、スカパラのドラマーだった青木さんの
命日でもあるんですね…。